プロフィール

経歴

昭和22年10月8日生まれ
昭和41年3月 福島県立安積高校卒業
昭和45年3月 早稲田大学商学部卒業
福島県議1期
衆議院議員3期
参議院議員2期
元経済産業副大臣
元参議院東日本大震災復興特別委員長
元裁判官弾劾裁判所裁判長
元参議院経済産業委員長
元参議院党政審会長
元民主党副代表

自己紹介

父 輝男・母 キミの長男として、1947年10月8日郡山市で生まれる。
父は小学校卒業後、魚屋に丁稚奉公に入り、18年後に独立し水産加工業会社を創業。
母は生後、由緒ある神宮の家の養女となり、東京の学校を卒業後父と結婚する。
姉3人。
県立安積高校では野球部で甲子園を目指す。卒業後、早稲田大学商学部に入学。
在学中、スキー同好会に所属。
在学4年生の時、参議院議員 石原幹市郎元自治大臣の秘書となり、3年程勤める。
その後、米国に渡り1年間滞在し、米国大統領選挙を視察する。フロリダ・デトロイドビーチにて高校・大学のサマースクールで学びながら、政治・社会勉強をしながら様々な経験を積む。帰国し郡山に戻り、父の会社に入社する。10年近く専務として経営を行う。
この間政治の道へ進む態勢を整え、1983年4月福島県議会議員に無所属で初当選。35歳であった。
1986年7月、福島第1区から衆議院議員選挙に初挑戦。残念ながら惜敗するも、次へつながる得票を確保、捲土重来を期し3年半草の根運動を続ける。
安倍晋太郎先生の清和会の認知を受け、全面的な支援を受けて無所属ながら、1990年2月トップ当選を果たす。
その後、衆議院議員を3期、参議院議員を2期務めて現在に至る。
てるてる坊主のトレードマークとテーマソングは、地元福島県では知らない人はいないと言われるほど、定着している。teruteru_bose_middle

ましこの足跡

学生時代

小学校入学(郡山市立赤木小学校)
郡山市立第二中学校卒業(恩師 藤田栄美先生と)
県立安積高校では野球部に所属
早稲田大学商学部時代
 
 

政治家の道へ

昭和58年 福島県議会議員選挙立候補 出陣式
昭和58年 福島県議会議員初当選 松平勇雄福島県知事と
昭和61年 衆議院議員選挙(福島1区より立候補) うすい前街頭演説

挑戦

1994年 4月 自由民主党 離党、新党・みらい 結党
参議院議員として政権交代、そして…
2010年 7月 参議院議員通常選挙福島選挙区でトップ当選 獲得票数 340,947票

震災。そして、復興に向けて

国会請願デモ(原発事故被害者の救済を求める全国運動実行委員会)
復興特別委員会。地元福島のために。
 

私の志

最大の使命と責任は、福島の復興と再生

福島県は東日本大震災と原発事故によって未曾有の複合災害に見舞われました。
増子輝彦は発災から1年9ヶ月の間、政権与党の立場で福島県内の59市町村、JA、漁業、商工業団体、医療、市民団体、自主避難者個人の95%の陳情・要望の窓口となり、政府機関・東電に何度も何度も足を運び、幅広い対策を講じ、復旧・復興をすすめました。

復興とともに、この先何十年もかかる原発事故の収束・廃炉に政治生命をかけ、再生可能エネルギー、新エネルギーの創出を図り、二度と原発事故のない福島県・日本をつくります。

子供から高齢者まで「安心して生活できる国づくり」

安倍内閣による憲法無視の強権的政治、貧困と格差の拡大、成果泣きアベノミクスの政治責任を問い、国の財源の立て直しと新しい経済政策への転換によって、子供から高齢者まで「安心して生活できる国づくり」、社会保障制度改革に取り組みます。

日本・福島の農業を守ります

TPP反対!!
日本・福島県の農業を守ります。農業者戸別所得補償制度を復活します。

復興・平和。そして皆様ひとりひとりの幸せを。

最後になりましたが、
ましこ輝彦は、
復興と平和をすすめ、皆様の幸せをつくることを改めてここにお約束いたします。

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